親父と僕はともに母子家庭。

 

ともに小学校一年から。

 

亡くなり方が違うだけ。

 

幼心に思ったこと。

 

家庭を持って男の子が生まれ小学校に上がると僕は死ぬのだろうかと思った。

 

親父は11人兄弟(兄妹)の9人目で長男。

 

そして11人全てが島を出て行き、親父だけが祖母の願いでUターン。


その他は全国に散らばる。

 

親父は新婚旅行の帰りに壱岐に戻らずに福岡で暮らそうと駄々をこねたとおふくろから聞いた。

 

次女が最初は親父のために壱岐で教師をしていた。

 

親父を大学に。

 

親父もそのつもり。

 

ただ志望校が食い違い親父は行かなかった。

 

当然、母子家庭だし国立を勧める叔母と東京私立に拘り決裂。

 

叔母も親父も島を出て行った。

 

親父は会社員時代に人材育成面から大学の講義を聞く機会があったらしくおふくろに僕が大学に行くと言ったら、家を売っても行かせるとおふくろに承諾させたらしい。

 

僕は漁業にコンプレックスを持っていた。

 

だが、親父の兄弟(兄妹)が全国に散らばってるので比較的早くから都市部を知れた。

 

また従兄弟(従姉妹)のなかでも下から4番目だったから直接情報が知れたので職業選択に関して友だちより多く知れた。

 

30代の頃、漁師、漁協、役場しか思いつかなかったという。

 

彼は優秀だった。

 

銀行という選択肢はない。

 

島内四町 、我が勝本町には銀行がないから。

 

理由は長崎県下一の漁協信用部が排他的だから。

 

現在でも勝本町勝本浦では気づいていない人は多い。

 

11人もいると派閥みたいなのが生まれる。

 

僕がほぼ等しく愛されたのは親父のおかげ。

 

なんらかの事を決める決断は親父がしてたみたい。

 

おふくろは一途でずっと親父をリスペクトしていた。

 

ただ僕自身、思考がませていたのでおふくろから聞く親父のことは割引いていた。

 

ませたガキがしんどかったのは職場の人間関係を聞かされたり、愚痴を聞いたり。

 

祖母が聡明な人だったので、おふくろの話は最終的に祖母が引き取った。

 

教育は学校より祖母から聞く話しが教育であり、面白かった。


今でも日本の教育制度はおかしいと思ってる。

 

国家の根幹は教育だというのは揺るがない。

 

初等教育は読み、書き、そろばんからでもいいと思ってる。

 

文系理系を分けるのも懐疑的。

 

詰め込むべきは詰め込んでいいと思う。

 

無償化は議論が足りない。


今、国が何をすべきか。

 

選出された国会議員、県議会議員、市町村議会議員の世襲が続く限り、気づかない。

 

ある意味、世襲議員は被害者なのかも知れない。

 

アメリカもイギリスも好きではないがアメリカは国民が堂々とNO!と突きつける。

 

イギリスは制度が整備されている。


フランスは戦い勝ち取った一票の大切さを知っている。

 

この世襲議員ではなく、教育を含めて考えると100年は要する。

 

だが国際情勢はそこまで待たない。

 

そして地方は衰退していくばかり。

 

政令指定都市にいては気づかない。

 

基礎自治体一つが人口3万〜5万の自治体がほとんどを占める現実。


こうやって能書きを垂れてビジネスに結び続けきれていない自分を無能だと思ったりする。

 

この10年間、よく親父のことを思う。親父ならわかってくれる、わかるはずだと。

 

おふくろからじゃなく、様々な人から聞く親父像なら。

 

ちなみに偏差値的に言えば数多い従兄弟(従姉妹)の中で僕が低い大学なのは言うまでもない。

 

妹も含めて。

 

そして九州にいる奴らは僕が進んだ大学を滑り止めで受験すらしていないのは事実であり、大いなる劣等感を抱き続ける54歳です(笑)